TOKIO KUMAGAIとは
山本耀司、山本寛斎、三宅一生などと同時期に活躍した「熊谷登喜夫」というデザイナーをご存知でしょうか?
熊谷登喜夫は1947年に仙台に生まれ、日本のデザイン専門学校である文化服装学院へ入学。
1968年には新人デザイナーの登竜門とよばれる「装苑賞」を受賞。
※その翌年である1969年には山本耀司が受賞しています。
同年代には山本耀司や三宅一生などのちに伝説と語られる数々のデザイナーが日本のモードという世界の中で高め合っていました。
パリでの活躍
卒業後はパリへ渡り、1970年代を通じて、彼は数多くの企業、フランスの CASTELBAJAC、Rodier、Pierre d’Alby、イタリアの FIORUCCI などのデザインを担当しました。
1979年に靴へのハンドペイントを始め、1980 年に最初のブティックをオープン。
1983年、TOKIO KUMAGAIを発表し、1985年にはTOKIO KUMAGAI hommeを発表しました。
惜しくも1987年逝去され、ブランドは1992年に休止となる。
そんな今日では多く語られないブランド TOKIO KUMAGAIですが、多くのアイコニックなデザインを世に残しファッションの都市であるパリに「日本のモード」としての爪痕を残したブランドです。
ここで彼ののこしたアイコニックなデザインを振り返ってみましょう。
TOKIO KUMAGAI 靴 -Shoes-
MEAT SHOES 食べる靴
食用サンプルを使用し、デザインされた靴
Red rice shoes赤飯靴
赤飯を樹脂で固め、デザインされた靴
TOKIO KUMAGAI 時計 -Watch-
Hanatsubaki (July, 1985)
SEIKO × TOKIO KUMAGAI 時を忘れる時計 (1984)
エルメスのブックルセリエを感じさせるベルトデザインの時計
SEIKO designed by TOKIO KUMAGAI photographed by Bruce Weber
SEIKOとTOKIO KUMAGAIによるコレクションのフォトブック
撮影は80年代を代表する写真家ブルース・ウェーバーが担当している。
ブランドのデザインの特徴としてシュルレアリスム、抽象芸術など特定のアーティストのスタイルを彷彿とさせるのが特徴です。
芸術的ながら着想はポップなものが多く、そのバランスが非常に興味深く、誰がみても直感的におもしろいと思えるデザインが多いです。
彼は靴デザイナーとしての教育は受けず、靴職人でもありません。
そんな彼だからこそできた自由な発想から生まれたデザインは世の人たちを魅了しました。
彼の訃報はフランスのフィガロでも取り上げられ、日本人デザイナーとしてパリのファッションシーンにいかに影響を与えたのかがわかります。
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